歴史における年号の役割

歴史の勉強、といえば、年号である。
年号、という数字の並びを覚えるのがどうにもおっくうで、そのせいで、あまり歴史の勉強には身が入らなかった記憶がある。

人物とか出来事とか、そういう「ストーリー」は好きだったけれど、どうしても数字の並びに関心が持てなかった。



最近、ふとしたことから、中学生向けの歴史テキストを読む機会があった。

私が習った頃よりにはわかってなかった事実もたくさんあり、過去といえども進化するのだな、なんて、妙なところに感動した。

その一方で、昔より、年号があまり前面に押し出されていないような印象を受けた。

もちろん、そこここに年号は記載されている。記載されているけれど、「いちいち、指摘してない」という感じなのだ。

重要なところは太字になっている、というサービス満点のテキストの割に、年号が太字になってはいない。説明文の中に、ひっそりと息を潜めて紛れている。



これは、どうなんだろう?

例えば、大河ドラマなどでは、ナレーションに結構な頻度で、年号やら元号やらが入っている。それほど意識して聞いてなくても、なんとなく、ああ、あれから何年後なのか、などとぼんやりとわかる。

同時代にあったほかの出来事なども、年号をよりどころにして、思い出したり、対比したりしていることに気がつく。

意外と、戦国時代って展開早かったんだなー、とか、数字から直観的に感じたりもする。



こうしてみると、年号って、いわゆる「フック」みたいなものかな、って思う。

人々の営みやいろんなストーリーが怒濤のように流れ去る時間(歴史)にあって、「杭」とか「目印」のような役割を果たしているのかもしれない。

分厚い本の要所要所に貼り付ける、「付箋」といってもいいかもしれない。

それをよりどころに、切り口を変えて、その時代を眺め直すことが可能になる。



そう考え直すと、無味乾燥な数字の並びでしかなかった年号にも「重要な情報」としての意義が生まれてくる。

大げさすぎる言い方かとは思うけれど、世界観が少し動いた気がする。



年表などを手元に置いて、歴史番組や歴史本を読むと、おもしろそうである。

本屋さんで探してみようかな、といっても、たぶん、受験関連の棚にしかなさそうだけど。



by hao3chi1 | 2017-01-30 18:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)
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