夏休み語学計画実行中

いよいよ、久々の長期お休み、夏休みの到来です。
冬はなんだかんだ言って、大掃除したり、季節の行事があったり、で、遊びらしい遊びもできずに終わってしまいますが、
夏こそ、夏休みこそは、自分の好きなことをやりたい!
日頃の手抜きから掃除とか片付けとか気になることはありますが、この際、それはそこそこにして、
今年こそは、
「遊んだぞ」
という実感を持って、夏休みを終わりたい!

というわけで、目下、語学計画を実行中です。

なんといっても、「賽の目河原の積み石」化している、ロシア語を、前に進めます。
黒田先生、ごめんなさい。
「カタツムリの初級編」、春先からすっかり休んでいて、カタツムリが化石になりそうデス。
このお休みに、また第一課からやり直し、とにかく、最後まで一通り聞きます。
キリル文字、すっかり、忘れ去ってて、もうこれで何度目なんだろう、とちょっと悲しくなりつつも、気を取り直して、Яとかやってます。
番組は大変に楽しい(注:2013年の録音です)ので、連続して聞いても飽きないし疲れません。
そもそも、最初のあたりは、4−5回は聞いてるところなので、ささささ、と進めています(忘れてるけど)。

さらに、録りっぱなしの英語系もこの際、聞きます。
「英会話タイムトライアル」が短くていいので、やってます。
が、こちらは、本当に「英会話ジム」なので、連続してやっていると、集中力が切れてきます.....
続けて聞くよりは、何かの合間に、びっと集中してやるのがよさそう。

もちろん、ポルトガル語も忘れずに。
こちらは、とりあえず、NHKのポルトガル語ニュースとブラジルのポッドキャストを聞く、という計画。
やりかけのテキストもあるので、そちらもぼちぼちと。

どっぷり語学な夏休み。
初日はそこそこできていますが、さてさて、最終日にはどこまで進んでいることやら。

とはいえ、大変にエンジョイしております。



# by hao3chi1 | 2017-08-11 17:12 | ことば | Trackback | Comments(0)

ほぼ日『スール』のアトリエコート

久々に、ほぼ日のウエア系を購入しました。
それは、三國万里子さん監修『スール』のアトリエコート

三國さんがフランスの古着屋さんで見つけた100年前のワークコートを原型に、パターンを引き直して製作した、とのこと。
(いつもながら、こういうストーリー付けが本当にほぼ日はうまい。)
購買意欲のツボをぽんぽんと押されて、もはや買うしかない、ということで買いました。

コートにも、ということでしたが、結構、細身仕立て。
思えば、三國さんもなかしまさんも、お二方ともスレンダーな体型。
そういう方々が着用、ということをもっと早くに思い出すべきでした。
ランニングTシャツくらいならいけるかもしれませんが、普通に長袖Tシャツだと、私の場合、コートは無理でした。
ワンピースというような生活ではないのですが、まあ、家の中で着倒すつもりでの購入だったので、下にスパッツなどはいて着用。
袖は止めずにまくるとかっこいい、といいますか、そういうわけで、肩幅・袖丈の問題から、まくるしかない、という状況。
元々、なんでも袖まくりして着ているので、その辺は気になりません。

インディゴ染めということで、色が出るだろうとは十分予想して、単独で洗いました。
いやいや、結構、色が出ました。
ワークコートのタグが青く染まりました。
更に、1回目の洗濯をして、干した後、手を見たら、指が全部青くなっていたのには、ちょっとびっくり。
(石けんで落ちました。)
回を重ねるごとに色落ちは少なくなってはきましたが、油断せず、当面は単独洗いです。

洗濯機の手洗いコースで洗ってますが、すこ〜し袖丈が縮んできました。
今の感じは、ちょっと着丈が長めのワークシャツ、という感じでしょうか。
着心地はいいので、着ては洗い、着ては洗い、で、大活躍中です。

細身だったり、色落ちしたり、縮んだり、と、ちょっと手間は掛かりますが、
育てるつもりで着る楽しさ、を味わうことのできる一着です。

# by hao3chi1 | 2017-05-06 17:18 | ほぼ日 | Trackback | Comments(0)

スウガク再挑戦

ここのところ、ワケあって、中学数学を勉強しています。
ちょっと詳しく言うと、中学数学というか、高校入試の数学の問題を連日解いております。

中学生だったのは、遙か昔のことですが、
当時から数学とはあまり仲良しではなく、どちらかというと、悲しい思い出とか、つらかったとか、冷や汗とか、涙とか、そういうものしか、脳裏には蘇ってこない間柄のものでした。
連立方程式の中間テストはさんざんだったし、図形の証明では全く思いつかなくて心が凍るような試験時間も経験しました。
そんなわけで、「数学は絶対だめだ」と、自分では強く認識してたわけですが、人生の皮肉か、どうしてもそれをやらないといけないという事情が生じ、やむなく、
手をつけてみたところ.....

意外に、解ける!あれ、わかる!え、なんで?

ということになり、自分でも非常に驚愕しております。

今回勉強するに当たり、熟読した本(『語りかける中学数学』高橋一雄著)には、

「数学には理解できる適齢期がある」

というようなことが書かれていましたが、
この年になって、ついにその「至適数学理解年齢」に達したのかどうか、普通程度の問題であればわかるようになりました。
人生はほんとにわかんないもんですね~。
図形の証明問題とか、パズル解くみたいな感じで、なかなか楽しいです。
もちろん、わかんなくて悶絶することもありますが、あ!とわかったときには、じわじわと幸せにひたれます。
そして、ちょっとわかると数学が苦じゃなくなるので、ちょっとした空き時間に解いてみたり、毎日、挑戦してみたり、で、そのたびに、なんといいますか、重い鉄扉がギギィと開いていくような、不思議な感覚がわいてきます。

「至適年齢」に達した上に、毎日やっている、ということが、好循環をもたらしてる気がします。
ある時期ダメだと思ったことでも、時を経て、環境が変わり、自分も成熟すると、案外できることもあるかもしれないな、なんて思ったりしてます。

# by hao3chi1 | 2017-02-22 07:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ちょっと梅見に

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近所の公園に梅が咲いたと聞いたので、ふらりと見に行ってみました。
紅梅、白梅それぞれに、ちらほらと咲き始めもあれば、咲き終わりもありました。

木もまだ若いので、梅園のように匂い立つということはありませんでしたが、近寄れば、高貴な香りが。



いにしえでは「はな」といえば「梅」を指していたと、古文の時間に習った覚えがありますが、早春の心に深く染みこむ色と香りです。



古今和歌集をひもとけば、春歌上に梅を詠んだ歌がいくつも載っています。



人はいさ心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける(つらゆき)



このあたりは、教科書にも載っていたような。



香りだけでなく、花の形や色も、小さくてかわいいと思います。

いろんな焼き物の文様になっていたりもしますし、桜とはまた違って、親しみの持てる花ですね。



そうそう、ロウバイも咲いていて、こちらもすてきな香りでした。



# by hao3chi1 | 2017-02-14 16:49 | 自然 | Trackback | Comments(0)

侮れない!NHKラジオ英語講座。

かれこれ中学生の頃から、NHKの英語講座にはお世話になっています。
私の最初の英語講座は、小島義郎先生の基礎英語でした。

その後、安田一郎先生&マーシャクラカワー先生の続基礎英語になり、続いて東後勝明先生になり、そして杉田敏先生のビジネス英語にいって、そのまま、続いています。

途中、テキスト買ってますだけの時期もあり、録音してますだけの時期もあり、でしたが、思えば、10代から続いていることって、ラジオ英語講座だけなあ、と。

意外に、テレビ講座は見ていなくて、今は亡き小川邦彦先生の講座をちょっと見たくらいかも。(あ、大西先生のはDVDで見ました。)動画サイトもDVDもない時期でしたから、発音がビジュアルで見られるテレビ講座は貴重なはずだったのだけれど、どうも目と耳の両方に集中するということができず、目に集中するとよく聞こえない、という頭の仕組みだったせいか、テレビはほぼ見ていません。



基礎英語シリーズも、ここ数年は「基礎英語1・2・3」(通称キソイチ、キソニ、キソサン)というタイトルになり、また小学校への英語教育導入によって更にその下に「プレキソエイゴ」が出てきました。

また、大人向けに「おとなの基礎英語」なども出現し、もうなんだか、基礎英語百花繚乱状態に。



私のメインは杉田先生のビジネス英語なんですが、家族の事情からキソシリーズもテキスト購入・録音・一部聴取を最近はやってます。

英語教育もトレンドがあるようで、英語のリズム感を重視したチャント練習やアメリカ英語以外の英語の紹介などもちらほら。ウェブ連動型でテストもできるし、いたれりつくせりで、むかしむかしラジカセで巻き戻し巻き戻しして苦心してた頃とは大違いです。



長年の英語講座歴を振り返って、「担当者様、よくぞ、この先生と見つけてきてくださった!」と簡単したのは大西先生ですが、今年度キソサンのMr.コーパスこと投野先生も、基礎英語にこの方を持ってくるか、というハイレベルです。

毎回、コーパスを駆使して、「使えるコーパス情報」を教えてくださるのですが、個人的には、ある程度英語力がある層のほうがこのありがたみが実感できるのでは、と思います。

恐るべし、コーパス。

実際に数百万語の解析から出てきた「頻出する組み合わせ」というのは、かなり凄みがあります。個人の見聞きした表現という範疇を超えているので、なんというか、一気に自分の語彙が広がってつながっていく感じがします。

先日の放送で、「中学生だけじゃなくて大人も聞いてね」というようなコメントがありましたが、いやー、これは大人というか英語上級者もチェックすべきではないかと。



今月中には来年度の語学講座担当先生が発表になるでしょうが、投野先生、来年も続投してくださらないかな~。もうちょっと、最先端のコーパスを使った英語学習を体験してみたいです。


# by hao3chi1 | 2017-02-08 07:00 | ことば | Trackback | Comments(0)

「書くための本の読み方」を考える

NHKラジオ講座の「実践ビジネス英語」に、ちょっと気になる連載があります。
2016年8月号から静かに始まり、隔月掲載の「On Writing 書くチカラをつけるためのヒント」という、わずか1ページ強のコラムです。

これが、本当にひっそり、こっそりと、しかも隔月で載せられているので、テキストを端々まで眺め回してないと、たぶん、気づかずに過ごしてしまいそうなくらい。

「ビジネス英語」恒例の、「和文英訳チャレンジコーナー」とも言うべき、"The Writers' Workshop"の講評と成績発表に引き続いて、そのコラムはあります。

8月号に載ったときには、実は、全く気がつかなくて、10月号あたりで発見し、さかのぼって、ああ、隔月掲載だったのか、とわかった次第。



このコラムの最初2回、「書くための本の読み方」で述べていることは、「英語」対象なのだけど、これを他言語、例えばポルトガル語にも十分適用できそう。

というわけで、備忘録として、以下、引用します。



①毎日読む

②口語を習得する

③いい文章を写す

④小説を読む

⑤The Elements of Styleを読む

(『実践ビジネス英語2016年8月号・10月号テキスト』より引用)



⑤については、英語に限ったことなので、他言語には使えませんが、①から④まではいけそうです。



①については、毎日、どんな分野のものでもいいので、30分から1時間読むとよい、と。

毎日となると、ウェブで公開されているニュース記事とか、Globoのドラマ記事とかかなあ。

②については、戯曲や映画の台本がおすすめ教材。

これは、その素材を入手すること自体が難しいですね。



③については、いい文章で書かれた文学作品、新聞、雑誌などの1~2パラグラフを毎日数回手書きで写すのがおすすめ。

この「いい文章」というのがなかなかくせ者ですが、ポルトガル語テキストに掲載の文章とかかな。ただ、あまり面白くないものも多いから、むしろ、amazonのkindleあたりで探した方がいいかもしれません。



④については、1冊を征服すると、基礎的表現を習得できる、と。

こちらも、その1冊を見つけてくるのがハードルになりそうな予感。



さらに、これらすべてをやろうとすると、時間的になかなか厳しいものがありますが、できそうなものをひとつやってみるのは効果がありそうな気がします。

すぐできそうなのは、①の簡易バージョン(30分をめざして、まずは10分でも)かな。



せっかく、いい記事を読んだので、取り入れてやってみまーす。



# by hao3chi1 | 2017-02-06 20:30 | ことば | Trackback | Comments(0)

社会科的に旅をする

「社会科的に旅をする」
『ブラタモリ』を観ていて思ったのだけれど、社会科的な視点から旅をすると、本当に楽しそうです。
今回の「別府編」でも、以前、視聴した「知床編」でも、地理で習うような知識がきっちりと活用されていて、タモリさんならずとも、血湧き肉躍りそう。

そういえば、大学受験のため、東海道新幹線に乗ったとき、車窓から見える、濃尾平野だの浜名湖だのに、「うわー、教科書通りだ」と大興奮状態になったのを思い出しました。
今でも、静岡あたり、新幹線がトンネルを抜けると斜面一面がミカン畑や茶畑だったりすると、人知れず、うれしくなったりします。

更に、最近は、地理だけでなく歴史にも興味が出てきて、本を読んだりテレビ番組を観たりしてるので、旅はさらに立体的になりそうな予感。
ただ、そういう、私の欲しい情報は、普通の旅行ガイドブックには載ってないので、それは自分で調べたりまとめたりしておく必要がありますね。
旅は出かける前が一番楽しい、と言いますが、それくらい調べておくと確かに、出発までの時間が大変に濃密なものになりそう。

あ、社会科だけじゃなく、理科もはいってくるかな。
「別府編」での温泉の泉質とか火山とかは、理科、それも地学の分野ですね。

いやいや、こうして膨らました旅は、グルメだのお土産だのを超えて、なんだか、自分の深いところに届くものになる予感がします。

それにつけても、ブラタモリでは毎回、その地域の達人が出演して、知る人ぞ知る、といった知識を解説くださるので、とても勉強になります。

# by hao3chi1 | 2017-02-04 21:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)

役に立っても立たなくても

「必要に迫られて」という向きにははなはだ申し訳ないのだけれど、私にとっては語学は道楽である。趣味とか楽しみとか、そういうジャンルである。

これまで、多言語に手を出しては、ほほう、とか、へへえ、とか、おもしろがっている。

英語については、中学1年生の時から、どういうものか、ラジオ講座を中心として、いまだに途絶えることなくかかわっている。TOEICを受けてた時期もあったけれど、試験が是とする方向が私とは異なることがわかった時点で、「投了」となった。

(つまり、TOEICの点数で、なにか恩恵を得たい、ということではなかったのである。)



もちろん、ある言語が話せたり読めたりすれば、グローバル社会では、いろんな情報をやりとりできるという点においては有用なんだろうけど、語学について、「役に立つかどうか」という視点で考えたことはなかったし、これからもたぶんないと思う。

おそらく、そのほかの「好きでやってること」について、それを「好きでやってる人」は「役に立つかどうか」では考えたことないんじゃないかな、って、ぼんやり思っている。

音楽とか、俳句とか、料理とかもそうかもしれない。



だから、そういう自分にとっての道楽みたいな趣味を人に説明するとき、「それって、なんかの役に立つんですか?なんかメリットあります?」って問われると、言葉に窮する。

えーっと、楽しいから、おもしろいから、きれいだから、というような、実利とはほど遠い言葉しか浮かんでこない。

損得によらない「道楽」の滋味は理屈からはずれたところにあるように思う。



スウガクって、なんの役に立ちますか?』(杉原厚吉著、誠文堂新光社)を読み、本論とは関係ないところなんだけど、語学がらみでちょっと考えてみました。

スウガクは、それ自体で、十分立派に面白いし、わくわく感あると、思います。

その上で、世の中をスウガクの視点から切り直すと、新たに見えてくるものもあり、特異なことだと思い込んできた物事に潜む普遍を見つけ出すこともできそうです。




# by hao3chi1 | 2017-02-02 21:38 | ほん | Trackback | Comments(0)

やらないことにする勇気

やりたいことややってみたいことは、日々、いくつもいくつも降り積もっていくけれど、年を重ねるごとに、それができる時間はどんどん減っていく。
とても残念だけれど、残り時間とか気力とか体力とかを天秤の片方に乗せてみると、釣り合うやりたいことは、刻々と目減りしていく。
たぶん、それが年をとる、ということなんだろう。

割と長い間、シフォンケーキを焼いてみたい、って思ってた。
別段、シフォンケーキが大好きで、見かけると必ず買ってきて食べてみる、とか、そういうことではない。
たぶん、それは、ほぼ日のなかしましほさん企画で、みなさんがとても楽しそうに、失敗しただのうまくいっただの、わいわいとシフォンケーキを作っているのを眺めていたからだと思う。
仲間に入りたいなあ、と思ったからだと思う。
でも、シフォンケーキを焼くには、いろいろとハードルが高くて、例えば、深めのボールがふたつ必要だったり、卵が3つ4つ要りようだったり、シフォンケーキ型がないとできなかったり、必須アイテムをそろえないとできないお菓子なのだ。
そういうアイテムを、合間合間にひとつずつそろえていき、いつか、作ってみたいと思っていた。
お菓子作りには、時間的ゆとりと気力がいる、特に、たまーにしか作らない私のような人にとっては。
だから、アイテムがそろった後も、いつかはいつかは、と思ってそのままだった。

それが、偶然、卵をたくさんいただくことがあり、時間と心の余裕があったので、ついにやってみる気になったのだ。
オーブンをセットし、道具を出し、材料をそろえ、さあ、始めるか、というときに、ふと気になって、オーブンにシフォン型を入れてみた。

はいらない。

シフォン型というのは真ん中が煙突のように高くなっている。そこがオーブンの天井につっかえて入らないのだ。

はいらなければ、焼きようがない。

小さいサイズの型に買い換えて、分量も換算し直して、作る、という手もないことはない。
だけど、と、そこで考える。
そんなまでして、シフォンケーキを焼きたいのか、私?と自問する。

ちょっとやってみたかっただけなのだ、どんな感じなのか、もしかしたら作ったら楽しいかもしれないので、試してみたかっただけなんだ、と気がつく。
そんなに入れ込んで、時間やお金や気持ちをつぎ込んで、焼きたいのか、と問われれば、それほどでも、と言葉を濁してしまう程度なら、やはり、「今絶対やりたい」ことではないんだろう。

数年来、ぼんやりと漂っていたシフォンケーキであったけれど、一度、すっきりと「やりたいこと」の列からははずれてもらうことにした。
少し心残りはあるけれど、それでも、やらないことにした。
やってみたかったことをやらないことにする、というのは、ちょっと胸の奥がじくじくする。でも、そんなにたくさんのことは、もうできないんだ、と思う。やってもいいな、くらいのことで日々を埋めていったら、どうしてもやりたいことに手がつけられなくなっちゃう気がする。それは、もっと心残りだ。

そんなわけで、時間と心は、もっと切実にやりたいことに使う、と改めて決めたのでした。

# by hao3chi1 | 2017-02-01 12:30 | 日記 | Trackback | Comments(0)

歴史における年号の役割

歴史の勉強、といえば、年号である。
年号、という数字の並びを覚えるのがどうにもおっくうで、そのせいで、あまり歴史の勉強には身が入らなかった記憶がある。

人物とか出来事とか、そういう「ストーリー」は好きだったけれど、どうしても数字の並びに関心が持てなかった。



最近、ふとしたことから、中学生向けの歴史テキストを読む機会があった。

私が習った頃よりにはわかってなかった事実もたくさんあり、過去といえども進化するのだな、なんて、妙なところに感動した。

その一方で、昔より、年号があまり前面に押し出されていないような印象を受けた。

もちろん、そこここに年号は記載されている。記載されているけれど、「いちいち、指摘してない」という感じなのだ。

重要なところは太字になっている、というサービス満点のテキストの割に、年号が太字になってはいない。説明文の中に、ひっそりと息を潜めて紛れている。



これは、どうなんだろう?

例えば、大河ドラマなどでは、ナレーションに結構な頻度で、年号やら元号やらが入っている。それほど意識して聞いてなくても、なんとなく、ああ、あれから何年後なのか、などとぼんやりとわかる。

同時代にあったほかの出来事なども、年号をよりどころにして、思い出したり、対比したりしていることに気がつく。

意外と、戦国時代って展開早かったんだなー、とか、数字から直観的に感じたりもする。



こうしてみると、年号って、いわゆる「フック」みたいなものかな、って思う。

人々の営みやいろんなストーリーが怒濤のように流れ去る時間(歴史)にあって、「杭」とか「目印」のような役割を果たしているのかもしれない。

分厚い本の要所要所に貼り付ける、「付箋」といってもいいかもしれない。

それをよりどころに、切り口を変えて、その時代を眺め直すことが可能になる。



そう考え直すと、無味乾燥な数字の並びでしかなかった年号にも「重要な情報」としての意義が生まれてくる。

大げさすぎる言い方かとは思うけれど、世界観が少し動いた気がする。



年表などを手元に置いて、歴史番組や歴史本を読むと、おもしろそうである。

本屋さんで探してみようかな、といっても、たぶん、受験関連の棚にしかなさそうだけど。



# by hao3chi1 | 2017-01-30 18:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)